知的生産者たちの現場/藤本ますみ
世の中にワープロが誕生する以前から、梅棹先生は、かなタイプライタを考案され、その後、ひらがなだけでなく、外国標記に合わせてカタカナも取り入れ、さらに、現在のワープロが発明されるときにも大きな助言をされたと聞いています。

文中で、藤本さんが梅棹先生から秘書の依頼があったときに、どのようなことをすればいいのかを訊ねる場面があります。そして、梅棹先生は、

「それはね、たとえばここにあるひらかなタイプで手紙をうってもらうとか、ファイリング・システムで書類を整理してもらうとか、こまごましたことがいくらでもある。しかし、そういう技術的なことは、あまり気にしなくてよろしい。技術はけいこすれば、じきにできるようになります。それより大事なことは、秘書には自分で仕事をみつけてやってもらいたいということやな。ぼくは秘書にいちいち、これこれのこと、いつまでにやっておいてくれと、命令したりしはしないから。秘書になってくれる人にのぞみたいことは、知的好奇心があって、腰かけでなく、責任をもってはたらいてもらいたいということ。まあ、そんなとこかな」 (p55)

と、お答えになった文章が載っていました。

これだけでも、梅棹研究室の様子がわかるような気がします。文化人類学の研究室とはいっても、梅棹先生は理学部動物学科を卒業されたということで、ここに集まる人たちは、医学、心理学、経済学、数学、薬学、電子工学、西洋史学、社会学、農村経済学・・・など、学問の寄り合い所帯だったと、書いてあります。

なんか、ごった煮でおもしろそう。