知的生産の技術/梅棹忠夫
1920年に京都で生まれた梅棹先生は京都大学人文科学研究所教授、大阪の千里にある国立民俗学博物館の初代館長を務められ、現在は顧問をされています。1994年に文化勲章を受章され、専攻は、民俗学、比較文明学で、世界各地を探検・調査されていらっしゃいます。

1986年3月に視神経の炎症を患い、視力が回復しないまま、現在に至っていらっしゃいます。

学生時代に手にしたこの本は衝撃的なものでした。何かしなきゃいけないけど、何をやったらいいのかわからない、頭も良くなければ実力もな〜い。ということでしたが、何かしら自分にショックを与えてくれる本を探していました。

前書きには、こう書かれています。

学校はおしえすぎる
「・・・この本で、わたしがかこうとしていることは、要するに、いかによみ、いかにかき、いかにかんがえるか、というようなことである。・・・」

「・・・かんたんにいえば、知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたは、あまりおしえてくれないのである。・・・」

民俗学を専攻される先生は、ご自身のフィールドワークから体験的に知識獲得・記録・整理といった一連の作業を体系化されました。ひらがなが多い文章、わかち書きを意識された句読点の使い方、などなど、先生独特の文体です。それにも理由がありました。

いわゆる京都学派には、個性的な方々がいらっしゃいます。KJ法をつくられた川喜多二郎、南極越冬隊の西堀栄三郎、偉大な生態学者である今西錦司、社会学者の加藤秀俊、スケールの大きな文学者の桑原武夫、小麦の遺伝研究者である木原均、食を中心とした文化人類学者の石毛直道、そして、現代ジャーナリストのヒーロー本多勝一・・・・そうそうたる面々のみなさん、ひとくせあるというか、個性派ぞろいですが、共通点は登山、探検、フィールドワークといったところにあるようです。

私としては難しいことは、よくわからないし理解不能なんですが、このような反骨精神に満ちあふれているプロフェッショナルの文章家は、読みやすい・わかりやすい文体が多く、読んでいてもぐいぐいと引き込まれてしまいます。