キミよ歩いて考えろ/宇井 純
 東京オリンピックのころからの高度経済成長時代は、公害問題なくしては、あり得ない経済発展でした。昭和48年ころから、東京農工大をはじめとして、各地の大学に「環境」という名の付く学部や学科がつくられました。私も、そのコトバにあこがれて、北海道へ渡ってきたのですが、浪人時代をニセ学生としてすごしてきた友人からのアドバイスは、衝撃的でした。「環境問題」という言葉はとても現代的であり、問題を包み隠してしまう言葉だと。

 東京大学での自主講座をまとめた「公害原論」を読むと、学生たちや(ニセ学生を含む)一般の方の熱気が伝わってきます。東大に反旗を翻した宇井助手が、国や大学からの圧力を跳ね返して水俣の被害者たちと闘った様子や、「公害」という社会構造に根ざした問題に取り組んでいる熱い思いが感じられます。

 で、この本は、そんな難しくなりがちな問題にどうして関わるようになったのか、という宇井氏の足跡を子供のころからのことが、書かれています。

 大学卒業後、一度は民間での技術者を経験し、その後、助手として大学の研究生活に戻った宇井氏は、水俣病に取り組むことで大学からにらまれて、万年助手となってしまうのですが、定年目前に沖縄大学の教授となって、現在に至っています。

 帯広へは、一度、札内ダムの問題でパネリストとして講演されたことがあります。そのときの説得力のあるおちついた口調が印象的でした。